2022年10月1日にこの世を去った、元プロレスラーのアントニオ猪木さん。力道山の死後、ジャイアント馬場さんと共に日本のプロレス界を牽引してきた偉人です。
アントニオ猪木さんが引退時に残した「この道をいけばどうなるものか」から始まるアントニオ猪木 道ほか、数多くの名言も残しており、多くの人に影響を与え、そして愛されてきました。
そこで今回は、日本スポーツ界の偉人 名言をご紹介します。世界で戦い、数々の記録を打ち立ててきた一流スポーツ選手の言葉には説得力があり、スポーツの場面だけではなく、仕事や人生に役立つこともあるでしょう。今日ここで、みなさんの心に響く名言が見つかれば幸いです。
目次
野球選手の名言
イチロー
特別なことをするために特別なことをするのではない。特別なことをするために普段通り当たり前のことをする。
1991年にオリックスに入団。1994年、シーズン210本安打で日本新記録を更新。MVP、ゴールデングラブ賞、ベストナイン、首位打者など数多くのタイトルを獲得しました。
2001年には、海を渡ってシアトル・マリナーズに入団。日本人野手として初のメジャーリーガーとなりました。2004年にメジャーリーグ年間最多安打記録を84年ぶりに更新し世界を驚かせ、2010年には10年連続200本安打を達成。
2019年3月に現役引退し、現在はシアトル・マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターを務めています。
王貞治(おうさだはる)
努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。
1959年に巨人に入団。一本足打法と呼ばれる独特の打撃スタイルで活躍し、長嶋茂雄さんと共に巨人の「V9」時代の顔として人気を博しました。世界記録となるシーズン公式戦通算本塁打868本の他、多数の日本プロ野球記録を打ち立てた「世界のホームラン王」です。
現役引退後は、巨人、ダイエー、ソフトバンクで監督を歴任し、現在は福岡ソフトバンクホークスの取締役会長、球団特別アドバイザーを務めています。
野村克也(のむらかつや)
失敗と書いて成功と読む。
1954年に南海ホークスに入団。1965年には、史上2人目となるパリーグ初の三冠王達成(捕手としては世界のプロ野球史上初)。ベストナインを19回受賞(最多記録)、本塁打王を9回獲得(パリーグ最多)、打点王を7回獲得など多数の記録を持ちます。
1980年に現役を引退し、ヤクルト、阪神、東北楽天の監督を務め、特にヤクルトでは「ID野球」を掲げ、1990年代のヤクルト黄金時代を築きました。
サッカー選手の名言
三浦知良(みうらかずよし)
うまくいかなかったときには、自分に力がなかったからだと考える。いい結果が出たときには、頑張ってきた成果だと考える。人生に偶然はない。
Jリーグ史上最高齢の54歳でJ1リーグでプレーした経験を持ち、世界最高齢での得点記録を持つ「キング・カズ」。15歳で単身ブラジルへサッカー留学し、同地の名門クラブ「サントスFC」と最初のプロ契約を結びました。
Jリーグ発足に伴い、1990年に帰国するとヴェルディ川崎で活躍しました。海外経験も豊富で、イタリア、クロアチアでもプレー経験あり。現在も現役で、JFL所属の鈴鹿ポイントゲッターズで活躍中です。
中田英寿(なかたひでとし)
前に進む以外に作る道ってないわけです。後ろに進むためにある道なんてないでしょう。そんな道、考えたことがないね。
1995年にベルマーレ平塚に入団すると、翌1996年には日本代表に最年少で選出さ、れアトランタ五輪に出場。1998年のフランスW杯でのプレーに注目が集まり、イタリアのセリエA・ペルージャへ移籍。その後チームを移籍して活躍した後、2006年ドイツW杯をもって現役引退。
2009年1月に一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」設立し、代表理事に就任。サッカーを通した社会活動を積極的に行うなど、現在は実業家として活躍中です。
テニス選手の名言
松岡修造(まつおかしゅうぞう)
100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、90回まで来ていても途中であきらめてしまう。
1995年のウィンブルドン男子シングルスで、日本人男子として62年振りにグランドスラムベスト8に進出の快挙を成し遂げました。また、ウィンブルドンでの通算7勝は、2015年に錦織圭選手に抜かれるまで日本人最多の記録でした。
1998年に現役を引退した後は、スポーツキャスターやタレントなど幅広く活躍中です。
陸上競技選手の名言
髙橋尚子(たかはしなおこ)
何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。
「Qちゃん」の愛称で親しまれた元マラソン選手で、女子マラソンの元世界記録保持者です。2000年のシドニー五輪で日本陸上界女子選手として初の金メダルを獲得。同年10月に女子スポーツ界で初の国民栄誉賞受賞しました。翌年9月のベルリンマラソンでは、当時の世界最高記録を更新。
2008年10月に現役を引退し、現在はスポーツキャスター、マラソン解説者などで活躍中です。
水泳選手の名言
北島康介(きたじまこうすけ)
何も犠牲にしてません。何かを犠牲にしてたら続けることなんて無理です!ただ泳ぐのが好きだからできただけです。
2000年のシドニー五輪から4大会連続でオリンピック出場。2004年のアテネ五輪では、100m・200m平泳ぎで金メダルを獲得。2008年北京五輪でも両種目で金メダルを獲得し、オリンピック史上初の平泳ぎ2大会連続2種目制覇を果たしました。北京五輪では100mで世界新記録、200mで五輪新記録を樹立。2012年ロンドン五輪男子400mメドレーリレーでは銀メダルを獲得。
現在は、東京都水泳協会会長を務めています。
スキー選手の名言
葛西紀明(かさいのりあき)
僕のジャンプ人生を振り返ってみれば、95%以上は負けているんです。でもその悔しさより、勝った時の嬉しさの方が数倍も数十倍も大きいんです。だからまたそれを味わいたくて続けているんです。
初出場の1992年のアルベールビルから2018年の平昌まで、8大会連続でオリンピック出場。1994年のリレハンメル五輪では団体で銀メダル、2014年ソチ五輪では個人で銀メダル、団体で銅メダルを獲得。
スキージャンプ界では異例ともいえる30年以上のキャリアを持ち、「レジェンド」とも呼ばれている。W杯最年長優勝、冬季五輪スキージャンプ最年長団体メダリスト、ノルディックスキー世界選手権最多出場など5つのギネス世界記録を持つ。現在は土屋ホームに選手兼任監督として所属し、50歳の今も現役を続行中です。
力士の名言
千代の富士(ちよのふじ)
今日いい稽古をしたからって明日強くなるわけじゃない。でも、その稽古は2年先、3年先に必ず報われる。自分を信じてやるしかない。大切なのは信念だよ。
1970年、秋場所で初土俵を踏み、1981年、初場所で初優勝し大関昇進、同年、名古屋場所後に第58代横綱昇進を果たしました。1989年、秋場所通算968勝の最多記録を達成し、国民栄誉賞を受賞。昭和最後の大横綱として国技を支えた偉大な力士の一人です。
1991年の現役引退後は、九重部屋を継承し、元大関・千代大海らを輩出しました。
プロレスラーの名言
アントニオ猪木(アントニオいのき)
この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ。
1960年にプロレスデビューを果たすと、新日本プロレスの旗揚げや、異種格闘技戦で活躍など数々の伝説を残し、プロレス黄金期を牽引。
プロレスラー引退後は政治家としても活動し、湾岸戦争で日本人人質解放に貢献するなどの功績が称えられています。
ボクサーの名言
辰吉丈一郎(たつよし じょういちろう)
人はいつか必ず死を迎えるわけで。他人の目や評価を気にして生きても一生、自分の好きに生きても一生。だったら思いどおりに生きてみたい。
愛称は「浪速のジョー」。1991年9月、当時日本選手最速の8戦目で世界王座奪取に成功。その後、2度の眼疾による引退危機を乗り越え挑んだ、薬師寺保栄さんとの世紀の王座統一戦では判定負けを喫しました。2階級制覇を目指し、スーパーバンタム級に上げるも連敗。1997年11月、元のバンタム級に戻し、劇的勝利を収め、2度の王座防衛にも成功。戦績は20勝(14KO)7敗1分け。
「現役」にこだわり、52歳の今もなおトレーニングを続けています。
まとめ
今回は日本スポーツ史に名を残すアスリートの名言 集 偉人についてまとめてみました。
世界の様々な分野で「偉人」と呼ばれる人がいて、多くの名言が残されています。中でも一流スポーツ選手の名言は、世界中を飛び回り、様々な相手と自身の体を使って戦ってきた経験から発される言葉であるため、非常に説得力があります。また、スポーツでの経験は私たちの日常生活にも置き換えやすく、小さなことの積み重ねが大きな成果を生むこと、ピンチはチャンスであること、継続することの大切さ、自分らしく生きることなど、私たちの心にスッと入ってくるものが多いです。
落ち込んだり悩んだりした時は、好きなスポーツ選手の心に響く名言を一つ、探してみてはいかがでしょうか。