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【追悼】エリザベス女王のこれまでの人生を振り返る

【追悼】エリザベス女王のこれまでの人生を振り返る

イギリスのエリザベス2世女王陛下が今月9月8日にスコットランド、バルモラル城で崩御されました。9月19日にはロンドン近郊のウィンザー城にて国葬が行われました。

イギリス、またその他一部の国では、彼女との最後の別れの時を分かち合う意味から、この9月19日は仕事や学校が休みになりました。国葬の一部始終はイギリス国営放送であるBBCを始め、全世界で生中継され、多くの人が稀代の女王へ哀悼の意をささげました。

この記事ではエリザベス2世の人生を振り返りたいと思います。

 

幼少期

1926年4月21日、イギリスの首都ロンドンで、のちの国王ジョージ6世であるヨーク公アルバート王子とスコットランド貴族のエリザベス妃の間に、第一子長女として誕生されました。名前は母のエリザベス妃、祖母のメアリー王妃、そして曾祖母アレクサンドラ王妃からとり、エリザベス・アレクサンドラ・メアリーと命名されました。

4歳下には妹マーガレット王女がおり、共に家庭教師から教育を受けられており、幼いころから規律正しい性格だったそうです。

その後、父がジョージ6世として国王になると、国王の第一子長女として王位継承権者第1位となり、国王の意向もあり次第に次期国王としての公務が増えていきます。

そんな中、海軍兵学校への視察の際に、後の夫となるフィリップ殿下と初めて出会っています。

 

戦禍を超えて

第二次世界大戦が始まると、王宮であるバッキンガム宮殿からウィンザー城に家族全員で居住を移します。1940年の14歳の時に初めてBBCのラジオ放送で行った演説は大変有名であり、厳しい戦禍の中でも共に生き抜く姿勢は当時の国民の胸を強く打ったことでしょう。

最終局面を迎えた1945年にはイギリス陸軍の英国女子国防軍に入隊し、名誉第二准大尉に任命されました。それまで女性王族に与えらえる軍職は名誉職でしかありませんでしたが、他の学生たちと同等の軍事訓練を受け、軍用車両の整備や弾薬管理、軍用トラックの運転なども行ったそうです。

一般の兵士とほぼ同等の待遇を受けたことを喜び、これらの経験をもとに自分の子息も一般国民の子女たちと同じような学校に通わせることを決意するきっかけにもなりました。

 

結婚、出産、そして女王へ

1947年にフィリップ王配と婚約が発表され、翌48年には現国王であるチャールズ王子を出産し、1950年には第二子・長女となるアン王女、1960年にアンドルー王子、そして1964年にエドワード王子と4人の子どもに恵まれました。ロイヤルファミリーは家系図からも世勢争いなどが見えてきて興味深いですね。

また時を同じくして前王で父でもあるジョージ6世国王の体調が優れないことから名代、王女として外遊の機会が増え始め、アメリカやフランスなど、行く先々で成功を収め、一国の元首としての才覚が世界に知られ始めます。

1952年、ジョージ6世国王の崩御と共に、エリザベス女王が誕生しました。翌年、世界中の賓客を招待しウェストミンスター寺院で行われた戴冠式の様子は、当時の最新メディアだった白黒テレビで、全世界に中継されました。日本からは後の平成天皇である皇太子明仁親王がご参加されています。

 

女王として

イギリス女王として過ごした70年7か月は、イギリス最長在位でした。

立憲君主制を重んじ、国の象徴として公平な立場から各国との懸け橋であり続けた君主としての振舞は、多くの人から愛されていました。また、イギリスだけでなく56の国からなるコモンウェルス・オブ・ネイションズの首長としての役割も幅広くこなし、イギリス国内のみならず世界中から敬意を集めていました。戦後は積極的に旧交戦国にも多く足を運ぶことで友好を深めており、1975年にはフィリップ殿下と共に来日されています。

ただ、彼女の周りのロイヤルファミリーの不祥事はなかなか絶えませんでした。

中でも現チャールズ3世国王の第二子であり、彼女の孫にあたるヘンリー王子は2020年3月に王室を脱退。妻であるメーガン氏と共にアメリカに住んでおり、メーガン氏の痛烈な王室批判は今大変物議を醸し出しています。

それでも2020年4月には新型コロナが蔓延する中、国民への激励と、最前線で立ち向かう医療従事者たちに謝意を表すビデオメッセージを送るなど、晩年まで女王としての公務を精力的に行っていました。

 

お茶目な一面も

近年で世界中から最も注目されたシーンの一つが、ロンドンオリンピックの開会式です。人気映画シリーズ007の主人公であるジェームズボンドの身辺警護の元、ヘリコプターからパラシュートを用いてオリンピックスタジアム上空から飛び降りる映像と共に貴賓席に登場するというものです。出演の条件が自身が出演し「こんばんは、ボンドさん」というセリフを言うことだったというエピソードからも、彼女が如何にユニークだったかが垣間見れますね。

 

終わりに

イギリスが現在の国号になったのが1927年、つまり現イギリスの歴史はそのままエリザベス2世の人生とも言えます。激動の世界大戦を経て、女王として戦後イギリスの発展を支えてきた功績に心から哀悼の意を表するとともに、ロイヤルファミリーとしての在り方を示し続けた彼女の人生に心から感謝の言葉を贈りたいと思います。